チューテ・チガンバ

(TUTE CHIGAMBA)

1939年ジンバブエのグルヴェ(※1)地方生まれ、
トーテムはヒヒ、昔から知られているムビラ奏者

その名はジンバブエ全土で有名で、その生涯の中、
さまざまな有名なムビラ奏者たちと演奏してきた、伝説のムビラ奏者の1人である

セクル・チガンバ(チガンバおじいさん)の名で親しまれている

 

※1 グルウェ
ジンバブエ北部の村

チューテ・チガンバ インタビュー

ムビラの歴史

質問:あなたは何才ですか?

80才です

質問:あなたは若いですね、76才には見えません

あなたは大分、昔に生まれたのですね
あなたが育った時期
その時期は大変な時代ではなかったですか?

そうですね、大変でした、人々は貧乏で

質問:ムビラを演奏する事は許されていたのですか?

我々は、ハラレ(※2)ではないところで
白人がいないところで、日常的にムビラを弾いていました

時には白人がいるところでも弾く事もありました
すると白人が尋ねます「それは何ですか?」と

そして「これは楽器です」と答えます

しかしハラレでは
ムビラを演奏する儀式をする事は
他の場所に比べて難しかったです

なぜなら
都市管理局が許可状を必要としていましたから

なので
(儀式の場に)警察がやってきた時には
彼らは、何をしているのかを確認して
その儀式のための許可状を確認します

そして
「オーケー、あなたは許可されている」
と言います

質問:儀式をするために許可状が必要だったのですか?

そうです、大変な時代でした
でも、田舎に行けば、許可状が無くても儀式ができました
警察が来るのは、1、2ヶ月後なので
儀式の全てをする事が出来ました

しかし、彼らは、儀式をする事を
悪魔を崇拝している、と言って
あなたたちは教会へ行くべきだ、と言って
望んでいませんでした

しかし、今、現在、私たちは自由になりました
人々は儀式をしています
そして、教会に行ったりもしています

質問者:ん~、それは良くない事ですよね

ハッハッハッハッ、
我々は、あの頃と同じ事をしている
今、人々は教会に行っている

質問:なぜですか!?

ハッハッハッハッ
我々にもなぜかは分からないです

これが、私たちがどのように育ってきたか
という事です

あと、我々は、7才になるまで学校に行く事を許されていませんでした

10才や12才になると学校に行く事ができた
という感じでした

※2 ハラレ
ムビラの地、ジンバブエの首都

ムビラとの出会い

質問:あなたはグルヴェで育ったのですよね
グルヴェにはたくさんのムビラ奏者たちがいたのですか?

そこにはンジャリ(※3)奏者たちがいました
彼らはムビラを持っていませんでした

たくさんの人たちがンジャリを演奏しました

質問:今も、グルヴェにはンジャリ奏者たちはいるのですか?

はい、います
たくさんではありませんが

私は1人だけ、知っています
彼は、私の母親の兄弟です
2人いましたが、1人はもうすでに亡くなり
1人だけンジャリを演奏します

質問:あなたはどのようにしてムビラと出会ったのですか?

私はグルヴェで成長し
そしてハラレにやってきて
働きはじめました

私がハラレにやってきたのは1962年でした
そして1966年に
私はムビラを演奏する人々と会いました

チウォタ(※4)から来ている人たちで
毎週末、ムビラの儀式をするために
ハラレにやってきていました

私は、その時は、ムビラを演奏していませんでしたが
ただ、私は「これを演奏できると思う」と彼らに言いました

彼らは「もしあなたが学びたいならいいですよ」と言いました

私はムビラを学ぶ事に挑戦しました
それは私にとって難しい事でした

私は「あなたの指はとても早く動く
私にはそんな事が出来るとは思えない」と言いました

しかし
私がハラレでムビラの儀式に行き始めるようになると
全てのムビラの曲が、私の心に入ってきました

そして、私は言いました
「どこでムビラを手に入れられるのですか?」

すると1人の男が言いました
「兄弟よ、私はムビラを作っている」

彼はムレワ(※5)からやってきた男でした

彼はさらに言いました
「25セントを曲のために払いなさい」

質問:1曲ですか?

1曲です
私は、そのためにたくさんのお金を使うことが出来なかったのです

ムビラを買った時
私は彼のムビラを演奏する音を録音しました

そして、そのオーディオテープを使って演奏するキーを発見していきました

そして、もう1つ
バンダンビラのグループが録音した音源がありました

彼は伝説のムビラ奏者の1人です

彼らは1963と1964年にレコーディングをしていて
毎週水曜日の朝
ラジオからバンダンビラのムビラの音が流れてきました

私は、朝、ラジオを聴き
その録音の音源を聴いて間違いを正していきました

それから、私は彼のように演奏し続け
今でも、彼のように演奏しています

※3 ンジャリ
ムビラに似た楽器。ムビラよりキーの数が多い

※4 チウォタ
ジンバブエ中央部に位置する村
ガリカイ・ティリコティ、サムソン・ブレ
エディソン・チヴェゼなどが育った地域でもある

※5 ムレワ
ジンバブエ北部の村

セクル・ゴラとムビラ

そして、1985年にセクル・ゴラが
私にガンダンガチューニングのムビラを紹介しました

これはとてもよいチューニングです
私は彼と同じチューニングを制作しています

今、私はこのチューニングのムビラで新しい曲を持っています

もし、私が儀式に行った時には
私はこれらの新しい曲を好んで演奏します
これらの曲は、精霊たちからも、良い曲だ、と認められています

質問:あなたは新しい曲を持っているのですか?

はい、私は新しい曲を持っています
少なくとも7曲は、7曲以上は持っています

質問:それはあなたの創作曲、という事ですか?

そうです

質問:あなたがその曲を演奏すると、精霊たちがやってくるのですか?

はい、やってきます
精霊たちは、この新しい曲を好んでいます

質問:ガンダンガチューニングは
セクル・ゴラがあなたに紹介したのですか?

はい、それは1985年でした

私は、セクル・ゴラの持つムビラを弾き
「これは何のチューニングですか?
私はこのチューニングの音が気に入りました」
と言いました

私はそのムビラでいくつかの曲を弾いてみました

それを見て
セクル・ゴラは言いました
「私のガンダンガチューニングを演奏できる人に始めて会いました
人によっては ”これは良くないチューニングだ” と言う人もいる
しかし、あなたはガンダンガチューニングを演奏している」

私は、当時
セクル・ゴラと一緒によくニャマロパチューニングを演奏していました

しかし私は、セクル・ゴラに言いました
「私は、あなたが持っているガンダンガチューニングと同じ
自分のガンダンガチューニングを作らなければならない
そして一緒にガンダンガチューニングで合奏しよう!」

そして、我々はガンダンガチューニングで合奏するようになりました

セクル・ゴラはガンダンガチューニングについて
こう語っていました

「私は、ガンダンガチューニングを葬式で発見しました
人々は葬式で泣きます
その時、私は、ニャマロパチューニングで演奏していましたが
私が演奏するニャマロパチューニングの音が合っていない
と感じていました

だから私は
私のムビラをガンダンガチューニングにチューニングしました

そして演奏すると人々はもっともっと泣きました
そして演奏しながら歌うと
人々はもっともっと泣きました」

彼は、そのようにガンダンガの物語を話しました
今では、ガンダンガチューニングは有名になりました

人々はガンダンガチューニングが好きです
このチューニングはとても良いです

人々はこのチューニングをガンダンガと呼びます
なぜなら、あなたがこのチューニングを演奏している時
人々は興奮し
人々はとても強くダンスするからです

人々はガンダンガチューニングが好きなのです

ムビラの起源

質問:ムビラの起源について知っていますか?

人々は岩と海から音を得ました
彼らはそれらの音を取り上げムビラのキーの音にしました

そして6つのキーがあるカリンバを作りました

そして、人々は
他のキーを追加していき
21キーあるカリンバが出来上がりました

そこから人々はンジャリやムビラを作りました

今、15キーあるカリンバはジンバブエで
学校や人々に広まっています

質問:あなたのいうカリンバ、というのは、
ニュンガニュンガ(※6)の事ですか?

そうです、カリンバが最初の名前でした

ニュンガニュンガという名は
ブラワヨに住んでいた男が
モザンビークの楽器から名前を取って付けました

ニュンガニュンガというものは
28キーあるモザンビークの楽器です

彼は、カリンバにニュンガニュンガという名前を付けました

なぜなら
彼はモザンビークで言うところの “ニュンガニュンガ” を
ジンバブエで見かけなかったからです

そして彼は
大学で、15キーあるニュンガニュンガと名づけられたカリンバを教えました

それが
ニュンガニュンガの名前の起源です

※6 ニュンガニュンガ
ムビラよりキーの数が少なく
ジンバブエの学校などで、生徒が授業で習ったりしている楽器
ジンバブエの女性ミュージシャンがパフォーマンスでよく使用している

儀式について

質問:あなたは儀式の時、何かを考えたりしていますか?

私たちがムビラの儀式にいる時
そこには聖なるお酒があり
私たちは精霊のために祈ります

そして私たちは精霊に祈ることに集中します
私たちは何も考えていません

ただ
考えることは
精霊が降りてきますように

私は演奏し歌い
人々は強く踊り
全てのダンスは強く踊られ
そして精霊が降りてきます

ムビラの演奏について

質問:日本人に対して
ムビラの演奏、またムビラの学び方などでアドバイスはありますか?

第一に
これは家の音楽である
という事です

あなたが、演奏したい、と思った時
あなたが何かのストレスを感じていた時
もし、あなたがムビラを手にとれば
ストレスは無くなります

もしあなたが
言い合っている人々を見つけたら
その人たちが喧嘩になりそうだったら
そんな時
もしあなたがムビラを弾いたら
そこには平和がある状態になります

彼らは静かになり
そしてムビラの音色を聴きたくなります

そしてその音を聴き
彼らは言うでしょう

「これはなんて素晴らしいんだ
喧嘩はやめよう」

私は
人々がそのようにする事を奨励しています

あなたが結婚し
あなたが奥さんと問題があったら
あなたは、どうしたらいいんだ、と考えます
そして、ムビラを手に取り演奏します

するとあなたの奥さんは近くに来て
彼女はあなたの音を聴きたくなります

そして喧嘩は終わるのです

ムビラは全てを止めてくれます

精霊に基づいた
人々を平和にするものなのです

全てを忘れてムビラを演奏するのです
これは素晴らしい、これは素晴らしい

サッカーのゲームを見ているようなものです

人々がサッカーを見ている時
そこにはストレスはありません

ストレスは
ゲームの後にやってきます
あなたが応援しているチームが負けた時に

しかし
サッカーのゲームを見ている時は
次はこうだ
そうだ、次がこうだ
と思いながら見ています

そんなものです

 

チューテ・チガンバの演奏

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